首都ワシントンでTHAAD配備反対デモ

首都ワシントンで韓国へのTHAAD配備反対デモ(Global Times誌より)

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はい、韓国のTHAAD配備については、これまでも何度か記事にしてきたんですが、韓国の件は、アメリカ国内にも、こんなに反対してくれる人がいて、さらに、韓国からワシントンまで行って、ホワイトハウスの前で抗議デモをするというところまで、行っているわけです。
ですが、韓国のTHAAD配備というのは、決定したのは、数か月前からの話で、そんなに古い話ではありません。
なのに、この行動力、組織力。
ひとつには、たぶんですが、アメリカには、コリアンアメリカンの人たちが、たくさん住んでいますが、彼らは、移住をしてからも、かなり長い間、民族性を保つとか、母国との関係を持つとか、そういうことがありますから、この人たちの協力が得やすいだろうということ。
日系人の場合なら、2世代目からはもう、民族的には、ほとんど日本人ではなくなって、母国との関係もなくなって、「日本人だ」というふうな意識も、なくなりますから、「ほかの日本人との関係を持ちたい」というふうにも、思わなくなるというのが、普通です。

世界から忘れられ、ぽつんと孤立した沖縄の反基地闘争

いっぽうの沖縄、この「輪」からは、完全に無視されていますね。
本来ならば、沖縄も、ここに入っていなければおかしいのに。
だって、
「Stop U.S. Militarism in Asia & Pacific」
と書いてあって、「アジア太平洋全体でのアメリカの軍国主義への抵抗」なんですから、最も長く、最もひどい目に遭っている沖縄は、ここに含まれていなければ、絶対におかしい。
なのに、実際には
「Stop THAAD in Korea & U.S. Militarism in Asia」
しかなくて、Henoko とか、Takaeとか、Okinawaという文字は、どこにもない。
前から言っているように、沖縄の基地闘争は、孤立しているんです。
本当に、孤立していて、外部とは、どこともつながっていない。
この状態は、実は「相手の思うつぼ」ですね。
だから、これが「いつまでも勝利が得られないそもそもの原因」なのではないかと、私は、思っているし、彼らが行くべき場所は、アメリカ大使館の前とか、ホワイトハウスの前とか、NYの国連ビルの前でなければならないのに、これまでのところ、まったく、そうなっていない。
しかし、この人たちもそうだし、前に紹介したフィリピンの人たち(過去記事:フィリピン:アメリカ大使館前で暴動、反米基地闘争に警察が催涙ガス)もそうですが、みんな「行くべき場所を知っている」から、アメリカ大使館の前とか、ホワイトハウスに来るんですよ。
沖縄の人たちが、一度でも、そういう場所に行って、抗議デモをしたことがあるのかといったら、ありませんよね。
なくて、そして、「状況がよくならない」「悪くなるいっぽう」だとしたら、それは「やりかたが間違っている」か、「行くべき場所に行っていない」ということではないんでしょうか。

琉球系アメリカ人による「ダイ・イン」

実は、島袋里奈さんの事件のあとに、アメリカに移住した沖縄の人たちつまり、琉球系アメリカ人でしょうが、その人たちが、アメリカのどこかで、「ダイ・イン」をやったことがありました。
どこだったかな。
ダイ・インとは、地面に寝転がって、死体を演じることで、殺人への抗議をするというアクションです。
しかし、私が知る限り、それだけですね。
そしてたぶんですが、そのデモも、沖縄の反基地闘争の人たちとは、直接つながっていないのではないのか。
琉球系アメリカ人有志が、単発的に、独自にやったものではないのか。

*追記*
ダイインが行われたのは、首都ワシントンですね。
アクションの主催者は、例の「コードピンク」(過去記事:おちょくり反戦平和集団「コードピンク」)でした。
ですが、そのうちの1人が、やっぱり琉球系アメリカ人でした。
このアクションについての、沖縄の地元の人との共闘関係は、見たところ、なさそうな感じ。
Citizen groups express sorrow and anger in Washington, D.C. after Okinawan woman was allegedly murdered by former US marine(琉球新報)
dc

沖縄の反基地闘争は、「やっているわり」には、なぜ成功していないのか

まあ、一番の問題は、沖縄の人が「二重支配を受けている」ということなんです。
そして、彼らは実際には、アメリカ人よりも、倭人のほうが憎いんです。
だから、恨みは、一番には、倭人にぶつけるわけで、それはシンプルに、「本土で基地を引き取れ」という形でしか、表現されてこない。
そして、抑圧されているマイノリティの常として、「マジョリティが、実際よりも権力を持っているように見えてしまっている」ので、「倭人さえなんとかすれば、この苦しみから逃れられる」といういうふうに思ってしまっているというところが、問題であり、間違いなんです。
実際には、そうではない。
沖縄に軍事基地を置きたがっているのは、誰よりもアメリカであって、そして、沖縄の人に対しては威張っている本土の倭人たちも、「アメリカの奴隷」であり、その政府にも、自己決定権などはないから、「こっちに移動してください」だの、「そこはもう引き揚げてください」だのと、指示をする立場には、ぜんぜんないという、この現実、悲しいことですが、沖縄の人には、こういう「シンプルな事実」が、どうしても、理解できない。
アメリカに逆らった日本の総理大臣は、さっさとクビになるとか、どんな無能な政治家でも、国民に人気がなくても、アメリカに従順でさえあれば、何年でも総理をやれるとか、そういう「誰にでもわかる簡単な事実」が、目の前にあるのに、沖縄の人は、「倭人も奴隷なんだな」ということを、わかろうとはしない。
まあ、「わかりたくないと思う」のは、彼らのせいではないので、仕方がない。
ともかく、彼らは、「どうしてこうなっているのか」がわかっていないということなんです。
だから、「こうではなくなるための方法」というものも、間違う。

独立派の一部は、わかっているが、数が集まらない

実は、沖縄の運動の中でも、独立派のうちの「かりゆしクラブ」の人たちというのは、かなり、わかっていますね。
だから、彼らは、規模が小さくても、「目的」のために「やることの内容」は、間違えていない。
デモの際のスピーチを、英語と中国語と日本語の3カ国語で行うとか、よその国の賛同者(ロシアとか)からの幟を立てるとか、こういうことこそ、「重要なこと」なんです。
彼らは、これまでのところ、それほどの支持者を集められないというだけの話で、運動の「方法」は知っているし、「なぜこうなっているのか」ということを、正しく理解している。
わかっていないのは、「県内では広い支持を集めているほうの人たち」で、「独立を標榜していない人たち」のほうです。

まあ、前にも言いましたが、「それがオレたちの生き方だ」と言われれば、それはそうなんですが、沖縄の反基地闘争というものの「方法論のお粗末さ」というものは、こうやって、「ほかの国の反米基地闘争」との「差」を見るにつけ、非常になんというか、どうしても、悲しい気持ちがしてしまうわけです。