今こそ見直す時期では

ジョン・F・ケネディの暗殺については、いろいろと読みましたし、映画も見たけれど、結局は、どれでもだいたい、「軍産複合体」の仕業という感じに着地するというか、中には、リンドン・ジョンソンや、アレン・ダレスのような、政府関係者も協力していたかもしれないとか、その程度ですよね。
だから、「それ以上」には、いろいろと考えてみることもなかったんですが、最近になって、たまたまですが、オーチャード作戦のことなんかを調べて、あの記事なんかも(過去記事:オーチャード作戦~イスラエルは、シリアの核施設を破壊していた~)、そのうち、もう少し、内容を書き足して行こうと思っているんですが、イスラエルという国が、そこまで狂っているならば、ケネディ暗殺についても、これはちょっと、別の見方をするべきなのかもしれないと、思い始めました。
assassin

最も疑われなかった相手ほど、実は怪しい

ケネディを殺す動機のあった相手というのは、たくさんいたわけで、だから、いろんなことが言われていますが、その中で、暗殺から50年間程度もの間、ずっと、「名指しがされてこなかった相手」というのがあった。
それが、イスラエルであり、モサドですよね。
どうして、名前が出なかったのか。
「動機」は、あったのに。
ウィキペディアだと、英語のほうも、日本語のほうも、イスラエルが怪しいというふうには、書いてない。
実は、英語のほうでは、ウィキペディア以外に、ぼちぼちと、「ケネディ暗殺はモサド」ということを書いている参照も、出て来ているんです。
これとか、ほかにもある→ Mordechai Vanunu and Michael Collins Piper Converge: The Israeli Mossad Assassinated JFK

蓋然性の面では、飛び抜けていた

そういうものがなかったとしても、ざっと振り返ってみると、やっぱりモサドだろうなあと、私も思う。
どうしてかというと、
  1. このことで、一番トクをしたのは誰か
  2. 一番疑われてこなかったのは誰か
  3. 動機があった人たちの中で、一番(頭が)病んでいたのは、誰か
  4. 動機があった人たちの中で、一番そういうことをした実績があったのは誰か
これらすべてが指し示すのは、やっぱりモサドだなあと、思う。
2について言えば、犯人であればあるほど、自分(たち)が疑われないように、誰か別の相手が疑われるように、事前に、入念なお膳立てをするはずだからです。
この場合にも、ソ連やキューバという、絶好の「相手」に、疑いの目が向けられるような、そういう「誰か」が、「犯人」として、差し出されていますね。

暗殺の動機

3については、英語版のウィキペディアのほうに、こういう記述があります(日本語のほうには、ここまで詳しくは書いてない)。
Israel

In 1960, Kennedy stated: "Israel will endure and flourish. It is the child of hope and the home of the brave. It can neither be broken by adversity nor demoralized by success. It carries the shield of democracy and it honors the sword of freedom."[173]

1960年、ケネディは「イスラエルは、耐えて、繁栄するだろう。それは希望の子、勇者の家である。それは敵に破壊されたりはせず、成功によって堕落したりもしない。 それは民主主義の楯となり、自由の剣となる」と述べた。

Subsequently, as president, Kennedy initiated the creation of security ties with Israel, and he is credited as the founder of the US-Israeli military alliance (which would be continued under subsequent presidents). Kennedy ended the arms embargo that the Eisenhower and Truman administrations had enforced on Israel. Describing the protection of Israel as a moral and national commitment, he was the first to introduce the concept of a 'special relationship' (as he described it to Golda Meir) between the US and Israel.[174]

これに続いて、ケネディは、大統領として、イスラエルと安全保障を結んだ、そして彼は米以軍事同盟の祖となった。 ケネディは、アイゼンハワーとトルーマンがイスラエルに課していた武器の禁輸措置を終了した。これについてケネディは、「特別な関係」というコンセプトを導入し、イスラエルの保護を、モラルと国家的使命と位置づけた(ケネディがゴルダ・メアに説明したとおり)。

Kennedy extended the first informal security guarantees to Israel in 1962 and, beginning in 1963, was the first US president to allow the sale to Israel of advanced US weaponry (the MIM-23 Hawk), as well as to provide diplomatic support for Israeli policies which were opposed by Arab neighbors; such as its water project on the Jordan River.[175]

ケネディは、当初、1962年に、1963年から始まるイスラエルへの非公式の安全保障を適用し、アラブ諸国からの反発を受けているイスラエルへの外交的支援を提供するとともに、最新型のアメリカ製武器(the MIM-23 Hawk)をイスラエルに売却することを許可した最初の大統領となった;ヨルダン川のウォータープロジェクトなどに関し。

As result of this newly created security alliance, Kennedy also encountered tensions with the Israeli government over the production of nuclear materials in Dimona which he believed could instigate a nuclear arms-race in the Middle East. After the existence of a nuclear plant was initially denied by the Israeli government, David Ben-Gurion stated in a speech to the Israeli Knesset on December 21, 1960, that the purpose of the nuclear plant at Beersheba was for "research in problems of arid zones and desert flora and fauna."[176] When Ben-Gurion met with Kennedy in New York, he claimed that Dimona was being developed to provide nuclear power for desalinization and other peaceful purposes "for the time being."[176]

この新しい安全保障の結果として、ケネディは、ディモナ(イスラエル国内の地名)の核物質施設を巡って、イスラエル政府との対立に直面した。ケネディは、これが、中東での核兵器競争につながると思っていた。 イスラエル政府が、核施設の存在を否定したあと、ダヴィド・ベン=グリオンは、1960年12月21日、イスラエル議会の演説で、Beershebaでの核施設の目的は、「乾燥地帯の植物相や動物相を調査するためである」と述べた。 ベン=グリオンがNYでケネディと会談した際には、彼は、ディモナは、脱塩計画のために、原子力による電力供給のために開発していて、「今のところは」平和利用だと、言っていた。

ディモナの位置関係dimona
When Kennedy wrote that he was skeptical and stated, in a May 1963 letter to Ben-Gurion, that American support to Israel could be in jeopardy if reliable information on the Israeli nuclear program was not forthcoming, Ben-Gurion repeated previous reassurances that Dimona was being developed for peaceful purposes. The Israeli government resisted American pressure to open its nuclear facilities to International Atomic Energy Agency (IAEA) inspections. In 1962, the US and Israeli governments had agreed to an annual inspection regime. A science attaché at the embassy in Tel Aviv concluded that parts of the Dimona facility had been shut down temporarily to mislead American scientists when they visited.[177]

1963年5月、ケネディは、これに対して懐疑的であるとベン=グリオンへの手紙で述べ、イスラエルに、核武装計画がないということについて、もっと信頼のおける情報が提供されない限り、イスラエルへのアメリカの支援は、阻害されると告げた。 ベン=グリオンは、以前と同じようにディモナは平和利用目的で開発していると繰り返した。 イスラエル政府は、核施設にIAEAを受け入れ、査察を受けろというアメリカの圧力に抵抗した。 1962年、アメリカとイスラエル両政府は、毎年の査察計画に合意していた。 テルアビブの(米)大使館の科学担当者は、ディモナの施設の一部は、アメリカの科学者の訪問に備えて、一時的に閉鎖されていると結論づけた。

According to Seymour Hersh, the Israelis set up false control rooms to show the Americans. Israeli lobbyist Abe Feinberg stated: "It was part of my job to tip them off that Kennedy was insisting on [an inspection]."[177] Hersh contends the inspections were conducted in such a way that it "guaranteed that the whole procedure would be little more than a whitewash, as the president and his senior advisors had to understand: the American inspection team would have to schedule its visits well in advance, and with the full acquiescence of Israel."[178] Marc Trachtenberg argued: "Although well aware of what the Israelis were doing, Kennedy chose to take this as satisfactory evidence of Israeli compliance with America's non-proliferation policy."[179] The American who led the inspection team stated that the essential goal of the inspections was to find "ways to not reach the point of taking action against Israel's nuclear weapons program."[180]

Seymour Hershによると、イスラエルは、アメリカ人に見せるために、偽のコントロールルームを用意していた。 イスラエルロビーのAbe Feinbergはこう言っていた;「ケネディがこだわっていることについて、情報を与えてやるのが、私の仕事の一部だった」 Hershは、ケネディと顧問たちが理解ができるように、やりすぎるくらいに修正済みの状態で案内されたとする;アメリカの査察チームが、イスラエルの完全な了解でもって、かなり前から査察スケジュールを立てていた。 Marc Trachtenbergはこう言う。「彼らは、イスラエルがしていることがよくわかっていた、ケネディは、このこと(査察)を、イスラエルがアメリカの核非拡散方針に従ったという、満足のいく証拠としてとらえることを選んだ」 査察団を率いたアメリカ人は、査察の根本的な目的は、「イスラエルの核武装計画に対して、具体的な行動を取らずに済むような方法を探すことだった」と言っている。

Rodger Davies, the director of the State Department's Office of Near Eastern Affairs, concluded in March 1965 that Israel was developing nuclear weapons. He reported that Israel's target date for achieving nuclear capability was 1968–1969.[181] On May 1, 1968, Undersecretary of State Nicholas Katzenbach told President Johnson that Dimona was producing enough plutonium to produce two bombs a year. The State Department argued that if Israel wanted arms, it should accept international supervision of its nuclear program.[177] Dimona was never placed under IAEA safeguards. Attempts to write Israeli adherence to the Nuclear Non-Proliferation Treaty (NPT) into contracts for the supply of U.S. weapons continued throughout 1968.[182]

アメリカ国務省の近東情勢担当のRodger Daviesは、1965年に、イスラエルが核兵器を開発していると結論している。 彼は、核兵器が稼働可能になるまでのイスラエルの目標は、1968–1969だとしている。 1968年5月1日、国務次官のNicholas Katzenbachは、ジョンソン大統領に、ディモナは、毎年2発の原爆を製造するにじゅうぶんなプルトニウムを生産していると報告した。 国務省は、もしもイスラエルが核武装をしたいなら、核開発について、国際的な監督を受けるべきだと議論した。 ディモナは、IAEAのお墨付きではまったくなかった。 イスラエルを、核不拡散条約に加盟させるための試みは、1968年から続けられている。
「偽のコントロールルーム」…まああれですよね、オーチャード作戦もそうでしたが、イスラエルが絡むと、どうしてすぐ、こういう「スパイ映画の世界」に、なだれこむのか。
上の記述が本当の話ならば、IAEAの査察官たちも、イスラエルに買収されていたということのようですから、イスラエルが、核武装の夢をかなえるための障害は、ますます、ケネディだけだったということになってくる。
ケネディを無視して核武装を進めたという場合には、安保を凍結される可能性が高い。
でも、イスラエル側は、安保は維持したかったんですね。

ラフな訳ですが、時系列で見れば、イスラエルが核武装をしたいと思って、それを始めて、そして、無事に核武装をするまでのに、「ケネディが死んでいる」ということが、はっきりわかると思います。
ケネディが死んでいなかったら、そして、「本当の親イスラエル大統領のジョンソン」が、大統領になっていなかったら、こうなっていたでしょうかね。
ジョンソンが、「超親イスラエルだった」ということについては、例えば、こんな参照もありますね→Lyndon Johnson Was First to Align U.S. Policy With Israel’s Policies
この件↑については、別記事(リンドン・ジョンソンは、イスラエルに国を売ったのか~ケネディ暗殺のその後~)に訳があります。

だから、事実だけを見ると、
  1. ケネディは、イスラエルを全面的に守ってやるから安心しろと言って、安保を結んでくれたが、それには、いろいろと「条件」をつけてきた
  2. しかし、「頭が病気」のイスラエルは、それでも不安なので、核武装をしようとした
  3. ケネディは、「それはダメだ」と言って、邪魔をしてきた
  4. なぜか急に、ケネディが死んだ
  5. ジョンソンが大統領になった
  6. 数年後には、イスラエルは核武装していた
まあ、起承転結が、「見ればわかる」というか。
そういうことですよね。

他国での暗殺の「実績」

4について考えると、やっぱりモサドなんですね。
「よその国」に行って、「よその国の人」をこっそり殺す、こういうことを、平気でやっていた国は、一番には、イスラエルです。
アメリカもやっていたけど、規模とか回数では、イスラエルにはかなわないでしょう。
だから、「慣れてた」というふうには言える。
ケネディの場合には、要人ですから、ナチの逃亡犯を殺すというのとは、だいぶ意味合いが違います。
違うけれど、「そういうことをやり慣れていた」という意味では、イスラエルが飛びぬけていた。
そして、ほかのどこの国よりも病んでいたし、行動力もあった。

アメリカの政府職員が実行犯には適さない理由

そして、アメリカのなんらかの政府機関の職員が、実行犯であるとか、隠蔽工作に積極的に加担したということには、私は、かなり否定的なんですが、それは、その人たちは、大統領に対し、忠誠心を持っているからですね。
大統領個人に対して、ではなくて、「アメリカの大統領であるから」です。
そのために訓練をされているし、忠誠心を持つように教育されている。
だから、そういう人たちのうちの誰かを使うということは、作戦が途中でしくじる可能性が高くなるわけですね。
なので、私が企画者だったら、軍人でも、警察官でも、「アメリカの公務員」を関与させるということは、絶対に避ける。
失敗したくないから、ですよ。

ジョンソンの関与は、自動成立する

もうひとつ、状況から言って、モサドが一番怪しいということになると、それは、ジョンソンの関与・協力がないと、成立してこないということになるから、ここが自動的につながる。
というのは、ケネディを殺しても、後継者が親イスラエルではなければ、殺した意味がないからです。
さらに、もしもですよ、後継者が、イスラエルに対し、ケネディと同じか、もっと強硬だったとしたならば、殺さないほうがよかったということになる。
だから、モサドを実行犯とした場合には、イスラエルとジョンソンの間では、共犯関係が成立していたとする以外にはないんです。
そして、実際に、ジョンソンは、「ものすごい親イスラエルのアメリカ大統領」となった。
誰がトクをしたのか、イスラエルと、大統領になれたジョンソン。

弟のロバートの暗殺は

robertケネディ兄の暗殺は、弟の件と切り離して考えることは、なかなか難しい。
この2つの暗殺が、「ぜんぜん無関係だ」と思うほうが、無理がありますね。
サーハン・サーハンという人は、まだ生きているらしいんですが、どうなのかな、死ぬまで真実を語らないで、墓の下まで持って行くんだろうか。
ケネディ兄が、イスラエルの敵と見なされて、消されたのだとしたら、弟はどうなのか。
やっぱり同じ理由で、同じ相手に消されたのか。
それとも、別の理由で、別の相手なのか。

はっきりしすぎているアンチイスラエル男

サーハン・サーハンという人の経歴だけを見ると、これは「はっきりしすぎているくらいのアンチイスラエル」なんですね。
だから、そういう理由で殺害に及んだということになっているけれども、ということはですよ、ロバートは「親イスラエルだった」という「前提」になってしまうんですけれど、それって、おかしくないですか。
つまり、誰かが、「あいつは親イスラエルだから殺してやる」と言って、誰かを殺したら、殺された人は、自動的に「親イスラエルだったんだな」ということにされてしまう。
「本当にそうだったのか」ということは、もう言われなくなる。
し、「犯人はイスラエルのはずはない」ということになる。
そこがミソかなと。
というか、兄だって、「親イスラエルだった」と言えば、それはそうです。
安保を結んで、守ってやると言って、なにくれと面倒を見てやった。
「米以軍事同盟の祖となった」んですから。
それが、結果的には、生死に関わるくらいに、発展してしまったのではないのか。

この兄弟の結束力からして、知らなかったというほうが不自然

ロバートの暗殺については、漠然とですが、この人は、兄が殺された理由を知っていて、黙っていたんじゃないのかな、と。
兄が、イスラエルの核開発の件で、どういう考え方を持っていたとか、怒っていたとか、モメていたとか、そういうことを、逐一知っていたはずなのが、ロバートです。
大統領になったら、それを暴露してやろうと思っていたのではないのか。
その前にやると、自分や家族が殺されてしまうと思って、黙っていたのではないのか。
大統領になって、「外交権」や、「軍と警察の指揮権」を握ってから、それをやって、公式にイスラエルを断罪してやろうとでも、思っていたんじゃないのかな。

ロバートが、「親イスラエルだから殺された」なんていう話は、なんと安っぽい作り話なのかと、私は思いますが、「犯人」が、「そう言った」ら、みんなが信じる。
おかしな話ですが、死んだロバートは、「自分が、本当に親イスラエルだったのかどうか」を説明するということは、もう、できなくなっているから。
死人に口なし。

リンドン・ジョンソンは、イスラエルに国を売ったのか~ケネディ暗殺のその後~

さて、前の記事の補足になりますが、この件は、あの記事への加筆にしようかとも思ったんですが、ものすごく長くなりそうですし...

偶然なのか~クリントン政権時に起こったジョン・F・ケネディ・ジュニアの飛行機事故~

ジョン・F・ケネディには、息子がいたのを覚えている人は…いると思いますが、今、日本でアメリカ大使になっているキャロラインの弟ですね...