ケネディが死んだあとは、何が起こっていたのか

さて、前の記事(過去記事:ケネディ暗殺とイスラエルの核計画~起承転結が示すものとは~)の補足になりますが、この件は、あの記事への加筆にしようかとも思ったんですが、ものすごく長くなりそうですし、これはこれで、「別記事」として立てておいたほうがいいかと思いました。
ちなみに、ライブドアブログの記事の文字制限は、5万字だそうです。
5万字だったら、ブログ記事としては、ほかのサービスと比べても、少ない文字数ではないんですが、問題は、モバイルからの閲覧時に、一定の文字数(たぶん6000とか7000字程度)でもって、勝手に分割されてしまうことで、「次のページ」というふうになってしまう。
なので、モバイルから見た場合に、「目次」とか、「リスト」の機能が、働かなくなってしまうという難点があります。
「目次」なんていうのは、1ページにすべてがおさまっていなければ、ページ内リンクを張っても、意味がないし、「リスト機能」を使った場合には、リストタグの途中で、別ページに分割されてしまうと、困ったことになる。
PC版から見た場合には、5万字以内ならば、1ページにおさまるので、目次をつけようが、リストを使おうが、問題はないんですが、最近では、PC版よりもモバイルからの閲覧のほうが多いので、ライブドアの「モバイルでのページ分割問題」というのは、私にとっては、非常に頭の痛い問題なんですが、取りあえずは、モバイルから見てくれる人には、不都合については、適宜、了承をしてもらうしかないとか、長い記事は、なるべくだったら、PC版から見てもらうようにしてもらいたいと、いうところです。

掲載誌の背景

今回紹介する記事というのは、リンドン・ジョンソンが超親イスラエル大統領だった件なんですが、この記事が載っているサイトの背景について、説明します。
信用度の問題がありますから、ネット上で発見した参照というのは、なんでもそうですが、そのまま鵜呑みにするということはできませんし、信用度を確認して、「それなり」の信用をしていくしかない。
今回のものは、私が見る限りでは、信用度は高いですね。
Washington Report on Middle East Affairs誌というのは、内容としては、主に、アメリカの中東外交について書いている新聞らしいですが、1982年に、引退したアメリカの外交官たちによって設立されたインディペンデント誌という経緯のようです。
特に、イスラエルからは、アンチイスラエル誌だと名指しをされているそうです。
この記事については、内容からすると、1996年に書かれたもののようです。
johnson
Lyndon Johnson Was First to Align U.S. Policy With Israel’s Policies By Donald Neff

リンドン・ジョンソンは、アメリカの政策をイスラエルに合わせた最初の大統領だった

It was 33 years ago, on Nov. 22, 1963, that President John F. Kennedy was assassinated in Dallas. While a traumatized nation grieved for its youngest president, he was succeeded by Vice President Lyndon B. Johnson, who was to become the most pro-Israel president up to that time. A sea change was about to take place in America’s relations with Israel.

ケネディ大統領がダラスで暗殺されたのは、1963年11月22日、33年前のことだった。
ショックを受けたアメリカが、最年少大統領の死を嘆いているころ、当時で最も親イスラエルの大統領となることとなるリンドン・ジョンソンが、後継に就任した。
アメリカとイスラエルとの関係に、大変換が訪れようとしていた。

Johnson was quick to declare his support for the Jewish state. Shortly after being sworn in as president, Johnson reportedly remarked to an Israeli diplomat:

“You have lost a very great friend, but you have found a better one.” Commented Isaiah L. Kenen, one of the most effective lobbyists for Israel in Washington: “ I would say that everything he did as president supported that statement.” 1

ジョンソンはただちに、イスラエルへの支援を表明した。
大統領としての宣誓を終えてまもなく、ジョンソンは、イスラエルの外交官に声明を出した:
「君たちは、偉大な友人を失ったが、もっといい友人を見つけた」

ワシントンの最も有力なイスラエルロビーのうちの1人であるIsaiah L. Kenenは、こう評価した:「ジョンソンが大統領としてしたことは、すべて、この声明に沿ったものだった」

Up to Johnson’s presidency, no administration had been as completely pro-Israel and anti-Arab as his. Harry S. Truman, while remembered as a warm friend of Israel, was more interested in his own election than Israel’s fate. After winning office on his own in 1948 with the support of the Jewish vote, he seemed to lose interest in the Jewish state.2

ジョンソン政権時代を振り返れば、ほかのどんな政権も、こんなに親イスラエル・反アラブではなかった。
イスラエルの暖かい友人として記憶されているトルーマンでさえ、イスラエルの運命よりも、自分の選挙のほうに関心があった。
ユダヤ人票のおかげで1948年に就任してから、彼はイスラエルに対する興味を失ったように見えた。

Dwight D. Eisenhower was distinctly cool toward Israel, seeing it as a major irritant in America’s relations with the Arab world and U.S. access to oil. There were no powerful partisans of Israel in his administration and his secretary of state, John Foster Dulles, was a frequent critic of Israel. Kennedy was considerably warmer toward the Jewish state and became the first president to begin providing major weapons to it, breaking an embargo in place since 1947.3Yet he valued the U.S. position in the Arab world, particularly with Egypt’s Gamal Abdel Nasser, and as a result maintained a fairly even-handed policy despite having a number of pro-Israel officials in his administration.

アイゼンハワーは、イスラエルに対しては、ものすごくクールだった、イスラエルを、アメリカとアラブの関係や、アメリカの(中東の)石油へのアクセスへの障害と見なしていた。
アイゼンハワー政権には、イスラエルの強力な味方はいなかったし、国務長官のデュレスは、しばしばイスラエルに批判的だった。
ケネディは、比較的イスラエルに好意的だったし、1947年からの禁輸を解除して武器を供給した初の大統領となった。
しかし彼は、アラブ世界でのアメリカの立場、特にエジプトのナセルとの関係を重んじていたので、結果として、自分の政権内に、親イスラエル職員を多く抱えていながら、公平でフェアな外交方針を維持することとなった。

All this changed dramatically under Johnson. Not only was he personally a strong supporter of the Jewish state but he had a number of high officials, advisers and friends who shared his view. These included officials within the administration such as McGeorge Bundy, Clark Clifford, Arthur Goldberg, Harry McPherson, John Roche, the Rostow brothers, Walt and Eugene, and Ben Wattenberg.

これらはすべて、ジョンソン政権下で、ドラマチックに変化した。
ジョンソン本人が、強力なイスラエル支持者であるのみならず、価値観を共有する何人もの高官や、アドバイザーや友人を抱えていた。
その中には、マクジョージ・バンディや、クラーク・クリフォード、アーサー・ゴールドバーグ、ハリー・マクファーソン、ジョン・ロッシェ、ロストウ兄弟、ウォルトとユージーン、そしてベン・ウォッテンバーグがいた。

These officials occupied such high offices as the ambassador to the United Nations, the head of the National Security Council and the number two post at the State Department. They were assiduous in putting forward Israel’s interests in such memoranda as “What We Have Done for Israel” 4 and “New Things We Might Do in Israel” 5 and “How We Have Helped Israel.” 6
The president was repeatedly urged to distance America from the Arab world.

これらの高官たちは、国連や、国家安全委員会のヘッドや、国務省の2番目のポストなどの要職を独占した。
彼らは、イスラエルの国益を提唱することに熱心だった、「イスラエルに何をしてあげたか」「もっとイスラエルにしてあげられることは」「どうやってイスラエルを支援するか」など。
ジョンソンは、アメリカとアラブ世界の「距離感」を繰り返し吹き込まれた。

The president was repeatedly urged by Israel’s supporters to embrace Israeli policy, give the Jewish state increased aid, and distance America from the Arab world. So pervasive was the influence of Israel’s supporters during Johnson’s tenure that CIA Director Richard Helms believed there was no important U.S. secret affecting Israel that the Israeli government did not know about in this period.7

ジョンソンは、繰り返し、イスラエル支持者たちから、イスラエルの政策を支持するように、そしてイスラエルへの支援を増やすように、アラブ世界からは遠ざかるように促された。 だから、ジョンソン政権下では、イスラエル支持者の影響力が広汎化し、CIA長官のヘルムズが、アメリカには、イスラエルが知らないような重要な秘密は何もないと思うくらいだった。

So closely allied were U.S. and Israeli interests in the mind of “Mac” Bundy, the special coordinator of Middle East policy during the 1967 war, that he once sought to buttress a recommendation to Johnson by remarking: “This is good LBJ doctrine and good Israeli doctrine, and therefore a good doctrine to get out in public.” 8 When initial war reports showed Israel making dramatic gains and several officials in the State Department Operations Room outwardly showed satisfaction, Undersecretary of State Gene Rostow turned to them with a broad smile on his face and said ironically: “Gentlemen, gentlemen, do not forget we are neutral in word, thought and deed.” 9 In the State Department’s summary of the start of the war, Rostow’s brother, Walt, the national security adviser, wrote on a covering letter to Johnson: “Herewith the account, with a map, of the first day’s turkey shoot.” 10

1967年の戦争の間、中東特別担当官のバンディのもとで、アメリカとイスラエルの国益は固く結びつけられ、彼はジョンソンにこう勧めたくらいだ:「これは、リンドン・ジョンソンドクトリンとしても、イスラエルドクトリンとしても最適だ、だから、発表するにはよいドクトリンなんだ」と。
緒戦において、イスラエルがめざましい戦果を挙げ、オペレーションルームにいた数人の高官が満足していたとき、国務次官のジーン・ロストウは、満面の笑みで、皮肉にこう言った:「みなさん、みなさん、われわれは、世界では中立な立場なんですよ、言葉においても、考え方においても、行動においても」。
緒戦についての国務省のサマリーでは、ロストウの兄弟で、国家安全アドバイザーのウォルトは、ジョンソンへの添書きにおいて、「地図にあるように、これが、初日のトルコの攻撃です」と書いてあった。

Beyond the administration’s supporters of Israel, one of Johnson’s closest informal advisers was Supreme Court Justice Abe Fortas, another warm friend of Israel’s. Two of Johnson’s closest outside advisers were Abraham Feinberg and Arthur B. Krim, both strong supporters of Israel. Feinberg was president of the American Bank & Trust Company of New York and the man whose “activities started a process of systematic fund-raising for politics [in the late 1940s] that has made Jews the most conspicuous fund-raisers and contributors to the Democratic Party,” according to a study by Stephen D. Isaacs, Jews and American Politics. Johnson routinely consulted Feinberg on Middle East policy.

ホワイトハウスのイスラエル支持者のほかにも、ジョンソンの非公式なアドバイザーのひとりであるエイブ・フォータスは、最高裁の判事で、イスラエルの暖かい有人だった。
ジョンソンの外部のアドバイザーのうちの2人、アブラハム・ファインバーグとアーサー・クリムは、両方とも、イスラエルの強力な支援者だった。
Stephen D. IsaacsのJews and American Politicsによると、ファインバーグは、NYのアメリカンバンク&トラストカンパニーの代表で、組織的に政治資金を集めるために、40年代後半から活動を始めた人物で、ユダヤ人を、民主党への最も有力な資金提供者・貢献者として育てた。
ジョンソンは、恒常的にファインバーグに中東方針を相談していた。

Vocal Supporters of Israel(イスラエルの強力な支援者たち)

Feinberg was a vocal supporter of increased aid to Israel. Although an American, Feinberg at various times owned the Coca-Cola franchise in Israel and was a part-owner of the Jerusalem Hilton Hotel. When his bank fell into trouble in the 1970s and two of its officers were convicted of misappropriating funds, the Israeli Bank Leumi Company, in a generous act of reverse aid, purchased Feinberg’s American Bank & Trust Company.11

ファインバーグは、(アメリカ政府から)イスラエルへの支援増強の強力な支援者だった。
アメリカ人でありながら、ファインバーグはコカコーラのフランチャイズをイスラエルにいくつも所有し、エルサレムヒルトンホテルの共同所有者だった。
1970年代に、彼の銀行が問題に陥って、2名の職員が不適切な資金集めで有罪になったとき、イスラエル銀行レウミカンパニーは、気前よく逆支援を行い、アメリカンバンク&トラストカンパニーを買収した。

Arthur Krim was president of United Artists Corporation of Hollywood, a New York attorney and another major Democratic fund-raiser. He served as chairman of the Democratic National Party Finance Committee and chairman of the President’s Club of New York, the most potent source of Johnson’s campaign funds. Krim was married to a physician, Mathilde, who in her youth had briefly served as an agent for the Irgun, the Jewish terrorist group led by Menachem Begin.

アーサー・クリムは、ハリウッドのユナイテッドアーティストコーポレーションの代表で、NYの弁護士で、もうひとりの強力な民主党の資金提供者だった。
彼は、民主党のナショナルパーティファイナンス委員会のチェアマンと、NYでの大統領クラブのチェアマンを務め、ジョンソンの選挙資金の最も有力な資金源だった。
クリムは内科医のマチルダと結婚していたが、彼女は、若いころに、短期間、メナハム・ベギンに率いられたユダヤのテロリストグループのイルガンに所属していた。

The Krims were so close to Johnson that they built a vacation house near his Texas ranch to be close to him on long weekends and were regular guests at the White House. Mathilde Krim stayed at the White House during much of the 1967 war and was a regular caller at the Israeli Embassy, passing reports and gossip back and forth. The Krims, like other Johnson friends, did not hesitate to advise the president on Middle East policy.12

クリム夫婦は、ジョンソンと非常に親しく、週末を一緒に過ごせるようにと、ジョンソンの牧場の近くに休暇用の別邸を作っており、ホワイトハウスにも常連として招かれていた。
マチルダ・クリムは、1967年の戦争の間、ホワイトハウスに留まり、いつもイスラエル大使館に連絡をしていて、あちこちに報告やゴシップを渡していた。
クリム夫妻は、ほかのジョンソンの友人と同じように、中東政策について、大統領に進言をすることをためらわなかった。

How influential the Krims were in forming Johnson’s Middle East policy was hinted at by notes in the president’s daily diary for June 17, 1967. The notes reported that at a dinner with the Krims and others at Camp David, Johnson openly discussed a speech he was working on that was to establish the nation’s Middle East policy for the years ahead.

クリム夫妻が、ジョンソンの中東政策に与えた影響がどれくらい強かったのかを知るヒントは、大統領の1967年6月17日の日記にある。
それによると、キャンプデービッドでのディナーの席で、クリム夫妻とほかの人たちは、翌年の中東政策を決定づけるスピーチについて、ジョンソンとオープンに話し合ったとしている。

According to the notes, Johnson read from various drafts of the speech around the dinner table, “inserting additions and making changes, also accepting comments and suggestions from all at the table.” Thus two passionate partisans of Israel, the Krims, helped Johnson refine what was later called the “five great principles of peace,” the pillars of U.S. policy in the Middle East for the next two decades.

日記によると、ジョンソンは、ディナーの席で、スピーチの予定稿のかなりの部分を拾い読みして聞かせた。
「付け加えたり、内容を変えたり、その場の人たちからのコメントや示唆を受け付けた」
こうして、熱烈なイスラエル支持者であるクリム夫妻は、のちに「平和における5つの重要指針」と呼ばれ、その後の20年間のアメリカの中東政策の矜持となる声明の推敲を手伝ったのである。

After Johnson delivered the speech on June 19, he received a report of an enthusiastic phone call from Abe Feinberg saying that the Jewish community was delighted with the speech. “Mr. Feinberg said he had visited with Israelis and Jewish leaders all over the country and they are high in their appreciation.” 13

ジョンソンが6月19日にスピーチを行ったあと、彼は、エイブ・ファインバーグから、「ユダヤ人コミュニティは、スピーチを喜んでいる」という、熱烈な電話があったという報告を受け取った。
「ファインバーグ氏は、国中のイスラエル人や、指導者たちと話したが、彼らは非常に感謝しているということだった」。

Under Johnson, aid to Israel increased and the old arms embargo was completely shattered, portending the massive transfer of treasure, technology and weapons that began in the next administration of Richard M. Nixon. That, of course, was only the beginning of the age of total support of Israel, which has reached new heights under Bill Clinton.

ジョンソン政権下で、イスラエルへの支援は増加し、旧来の武器禁輸は完全に崩れ去り、次のニクソン政権下で始まる大規模な富・テクノロジー・武器の移動の前兆となった。
もちろんそれは、ビル・クリントンのもとで新たな高みに達することになる、完全なイスラエル支援時代のほんの始まりであった。

(太字引用者)
訳すほうも、しんどいんですが、読むほうも、けっこうしんどいでしょう。
ですがこれは、ちゃんと読んでおいてもらわないと、このあとの話がわからないと思う。

リンドン・ジョンソンは、カルト臭かった

この人がこうなってしまったというのには、つまりユダヤ人に国を売ったというのは、「宗教的に一致していたから」と見るのが、やっぱり妥当かも。
彼はテキサスの出身ですが、まあこうなると、ケネディが殺されたのが「たまたまテキサスだった」というのは、たまたまのはずはないですよね。
とにかく、ジョンソンという人は、お祖父さんだのお父さんだの、身内の人たちが、誰も彼も、宗教にどっぷりだったみたいなんですね。かなりカルト臭いものにまで、行っている。
もちろん、キリスト教であって、ユダヤ教ではないんですが、ここで、ユダヤ教との一致点を見つけた、どうやらそういうことのようですね。
よく、Judeo-Christianというふうに言われますが、アメリカの(一部の)キリスト教徒の特徴として、こういう呼び方が使われています。両者は、根っこが同じだとする考え方、思想ですね。
私は、ジョンソンが、お金や地位で転んだというよりも、どちらかと言えば、もともと宗教的な背景が濃かったからではないかというふうに、見るんですが。

「下剋上」である

「ケネディ暗殺=ジョンソン就任」というのは、アメリカがイスラエルに売られた、乗っ取られたという、そういう決定的なターニングポイントだったと見るのが、妥当ですね。
だから、いろんなことは、ケネディ前とケネディ後で、変わっているわけですね。
まあ、アメリカの人には、気の毒なんですが、アメリカというのは、イスラエルの傀儡政権が仕切る「衛星国になった」というのが、正しくて、その「逆」ではない。
ケネディのときまでが、ギリギリ、「イスラエルはアメリカの衛星国だ」でよかったわけですが、もしも、ケネディ暗殺が、本当にモサドであるならば、それは、宗主国のトップを殺すことによって、文字通り「支配下に置いた」ということになるでしょう。
日本では、こういうのは、「下剋上」と言いますが、まさにそれ。
ただし、イスラエルの場合には、あくまでも「実質的に」ということであって、「実が取れればいい」ということのようなんですね。
圧倒的に人口が少ないから、こっちが相手を併呑してやるとか、植民地にしてやろうとか、そういうことは、考えていないようである。これまでのところ。
思い通りになってくれさえすれば、それでよくて、アメリカの名前を「イスラエル」に変えるとか、世界共通語をヘブライ語にしてやりたいとか、そういう形での「支配」とか、「覇権」は、求めていないらしい。
ただし、今後、領地を広げ、人口がもっともっと増えたという場合でも、「そういうもの=覇権」を求めないかどうかは、わからないと思いますね。

クリントン夫妻の位置づけ

そしてもうひとつ、クリントン夫妻というのは、位置づけとしては、「ジョンソンの強化版」だったということ。
ケネディの死後から、民主党は、イスラエルに乗っ取られていたということ。
特に、中流家庭から成り上がったクリントン夫妻というのは、ユダヤ人の金の力がなければ、成り上がれていなかったはずであって、そうなると、今回、ヒラリーがしようとしていたことは、「イスラエルのためにもっと何かをする」こと。
だからまあ、ヒラリーがなっていたら、アサド政権を倒すために、米軍をフル稼働させて、もっと徹底的にやっただろうし、イランの核施設の破壊も、米軍にやらせたでしょうね。
そうなるとですよ、ロシア+イランとの全面戦争になっていたはずです。
悪いのはアメリカということになって、イスラエルは、表向きには「矢面には立たない」から、国際社会からの非難をこれ以上受けないで済む。

「ジョンソンがユダヤ人に売ったアメリカ」を、アメリカ人の手に取り戻すには

まあ、そういう意味でも、ヒラリーがならなくて、本当によかったと。
そして、これで「クリントン王朝が終わった」というふうに言っている人がいますが、本当に終わってくれていれば、いいとは思うんですが。

クリントン王朝は、終わったのか?
clintons
それと、トランプがなったということは、これは、どうしても、「ジョンソンがユダヤ人に売ったアメリカ」を、アメリカ人の手に取り戻すということになりますから、それだと、イスラエルの手から取り戻すということになるに決まっているので、トランプは、そもそもの話が、かなり生命が危ないんですが、どうするのか。どこまで妥協するのか、しないのか。
だから、50年以上前の暗殺事件について考えるということは、「今」とか、「今後のこと」にも、直結してくるということになると、私は思っています。